AIについて
ここ最近のAI議論について、違和感がある。
まず失われた10年とはなんだったのか?
日本の構造変化だ。
日本の企業経営は、三年以内に習得できる技術は、代替可能な作業として非コア業務として定義した。代替可能な作業である以上、人月で価値を評価され、60〜150万円/月にしかならない。そんなものは企業の競争力を産まないと考えた。
競争力を産まない以上、コスト勝負だ。
同じ作業なら単価が安い方が良い。大企業の多くは子会社や外部委託、派遣等で単価を切り下げるリストラ活動をしてきた。これが失われた10年以後、現在進行形の日本だ。
いま、生き残っている大企業のメンバが、代替困難な価値の高いコア業務をしているなら、一つの形だろう。 でも、現実はそういうわけでもない。
なぜなら、三年以内に習得できる技術なんて、日本の企業活動の95%を占めてるから。
残り5%のホンモノが悪戦苦闘し、競争してる。 ホンモノは社内で評価されてれば、それなりの地位で充実した日々。評価されてなければ、転職してる。 いつのまにか終身雇用が崩壊し、そんなホンモノを獲得しようと流動性が出てきたのは、まあ、良い構造変化といえる。
問題は、多くのフツーな社員。
人月単価勝負なので、自分の価値は目減りする一方。 目減りしていることを受け入れてる方は良い方で、多くが自分が残り5%と錯覚し、日々、評価されないと鬱々としている。
そこでAIの登場である。
なぜか多くのフツーな社員の仕事がなくなるという雰囲気である。そんなことはない。AIが侵食するのは、フツーな社員の代替可能な作業ではない。
ホンモノの方だ。
私でも、羽生や藤井に将棋で勝てるのだから。 AIの素晴らしさは、ホンモノの仕事を奪い、代替可能にしてしまう点にある。
AIはホンモノ5% フツー95%の社会をホンモノ2% フツー98%にする程度の変化だ。フツーの社員は恐れなくていい。